2015年11月26日木曜日

冷たい冬甘い雨

ばあちゃん死んだ。これで、じいちゃんとばあちゃん全員天国の住人になった。もう会うことないだろう。お母さんは介護と葬式おつかれさまでした。本当によく頑張ったね。
葬式で昨日松山に帰った。母方の祖母なので、母方の親戚が集まる。四年前母方の祖父が亡くなったときの葬式よりもみな大人しくなっていた印象を受けた。葬式に慣れていく親戚一同に囲まれていると息が苦しくて散歩をしたら三津の近くの葬儀場だと気付いた。海のにおい。京都をでる直前にけんじるくんの子供が生まれることを知って、たまやなぎさんと三人で伊予船で寿司を食べてお祝いしていたとき、鼻を抜けていた瀬戸内海の癖のあるにおいと同じだ。しばらく歩くと生協のスーパーがあって、見たことある後ろ姿を見つけて声をかけたら仙九郎さんだった。ちょうど実家に帰ってきていて、それがこの辺らしい。彼は一生懸命話してくれる。出会ったときからずっと思っていること全部を語りかけてくれる。ぼくもそう思うと言えば、彼はつぎの話をしてくれる。久々に会っても知人の話や、近況など一切せず、今どんなことを語りたいかだけ一生懸命話してくれるから、ぼくはそれがとても良くて小雨のなか葬儀場へ帰った。

母方の親戚に従兄弟が四人いる。
母の姉の息子二人と、母の兄の娘二人。本当に久しぶりに会ったら、みんな優しくていいおっちゃんおばちゃんになってて、ちいさい子どももいる。昔から変わらないのか、それとも従兄弟同士で集まるなんて20年ぶりくらいだから子供に戻ってしまったのか、ぼくは心が壊れた子供に戻ってしまう。弟も妹も頭がおかしい。空気を読むとか、人のことを考えるとか全然できない。でも、みんなを見ていたら、この田舎ではこれで誰も人のことを疑わないんだと思った。人のことを信じる、自分の存在を信じる、これが大事だと仙ちゃんは言って、ぼくは目に見えないものの存在を信じることも同じだねっね言ったら、二人が言ったことは凸凹のピースのようにハマったから二人で胸がざわついた。仙ちゃんもぼくも臆病だから理解できないものに恐怖したり、心を守るために音を出して、ノックし続けながら旅をしている。従兄弟のねーちゃんは愛媛からほとんど出たことないけど、愛媛のなかで遊びまくってきたって。ここは、四国は死の世界なんじゃないかと帰省するたびに思う。こんなにあたたかくてやさしいまちなのは、人がそういう文化を作り続けないと、風が切なすぎる。取り残されるというより、人類の営みを取り残してラピュタのように浮かんでいる。これは記憶のノスタルジアの為せる仕業だと思ってきたけれど、死国に引っ張られることに抗うことでしか生きることができなくて、それがルーツだったのだと思った。風でできた墓標を、現存しない大都会のように突き立てて、焼き払う。このバスはまた修行の地へとぼくをいざなうだろう。事故も起こさずに。お願いします運転手さん。シートベルトは締めました。今朝の夢でキスをされて魔法にかかっている。頭が正常なときがあると、思わないけれど、都市に住めば、みんな賢いから、みんな優しくて厳しいから、心は忙しすぎて、またバグっていく。
なんでこんなことをここに書いているんだろう。また生まれ代わらなきゃな。自分を夜に連れ出して散歩をさせて喜ばさないとな。自分の身体が飼い犬のように感じているな。元気でいてくれ自分。

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