2014年12月29日月曜日

やさしいデザイン
やさしいかたち
ふってきたものはない
たまに雨が降るくらい

みじかい冬がおわって
来たるやわらかい君にも芽生え
帰る場所を見失った私には
小さな灯火にさえ眩んだ目
幽霊のときも動物のときも浮かんだ絵
子供のように離さない
永遠にここにはだれも居ない
愛している時間に

聞きたいことがいくつも
あった、ほんとうによかった
見上げた空にかかる虹
飛んでいきたい彼方へ
消えてしまうまでは飛べない身体で
寂しさより速く
こんなこと歌うもんじゃなくて
笑ったままで帰るよ

サムワンフーケアズ






2014年12月20日土曜日

アメ村


昨日はアメ村でviimsの初ライブをしてきた。唯ちゃんっていう写真家の初個展のクロージングパーティーで、東京引越し直前の大切なイベント。法陀、とてもいい店だった。初めて顔を合わせたけれど、本当に初めてあうような人だった。一緒に演奏したPAOもそうだな。

大阪は寂しい都会。だから人がたくさんあったかい店を遅くまでやるんだろう。人が作るものが、なにからなにまで暖かさを望んでいるようで、それに負けない土地の寂しさが拮抗している。京都はちょうど逆のようで。それで左京区で店がやりたいんだろう。すごく自分が感じていることがわかってくる。好き嫌いではないし、目的があるわけでもないが、どこにいってももらえるパーツはバラバラで、もう全てを満たされる程に無知ではなくなってしまったから。
久々に会ったようじくんは疲れていた。気持ち良い感覚を知っているからそれを求めていけば人とのつながりがない日常は彷徨うしかない。寂しくても、ユートピアが自分の中にないことを知ったから、気持ちよさにあてるフォーカスがストイックになっていったと語る。人生短いんだった。一瞬のエクスタシーが知れたら、あとの時間なんて残りカスだと思ったりして、それでも生きてるから慎重になってみたりする。そういうところで、今は人の中で生きたい。死ぬ前くらいは宇和島は吉田町のような場所でのんびり暮らしたいけれど、もう無理かな。寂しくなって、ライブしに都会へ戻ってきてしまいそうで。だから、ようじくんに会うと、まっすぐぼくが諦めた場所に向かっているからとても安心してしまう。特に昨日は東北の匂いが大阪の街で一人際立っていて、北と南の人でぼくらは対極だから近いのかもしれないとも思ったくらいだった。飛び入りでPAOバンドにアコギで参加していたけれど、昨日見た龍のように美しい生き物だった。

昨日の夕方家を出た時にみた空にはとても大きな龍がいた。雲なんだけど。見上げた時に叫んでしまった。龍の身体は大阪の方からこっちへ伸びていて、大阪の方は渦巻く煙のような雲が羽根を広げていた。松本君が見た龍ってこれかな。

viimsは三人と、クルー一人の四人組。
絶妙なタイミングで出会った四人の生活はそれまでの人生をへし折るように無理して交差させている。いつでも大阪生まれ大阪育ちのよしこがキーとなるのは、やっぱりここが関西だから。なにかをガイドしてくれるわけではないけど、見たことない窓を開けてくれる。
増田は関東のベッドタウン育ちだから自分にルーツがないと言う。だから大阪が生理的に無理なんだ。一番バカで一番賢い。一番喋るし多動症。なのに歌は一番センチメンタル。金子は世田谷から出てきたばかりで、増田と違いどのルーツでも肯定できる柔軟な子供。ぼくがしたくてもきちがいだと思われてできないような話ができる。みんな僕の中の違うレイヤーとフォーカスが合ってて、だからみんなはお互いをお互いのことどういう風に感じているのか不思議だ。そんな出会った時から決別した後のような四人で、ヒップホップっぽいけれど音楽じゃないような事をひとつの形にしている。はじめてなにかを始める感覚は産まれることへの心構えなんだとひしひし。
やっぱりライブがただひとつのしっくりくる表現で、自己満足なんて介入する余地の無い生に向かい合った眩暈そのもの。泣いている暇ないが笑っても仕方ない状態。かしゆりもはじめて今みたいなバンドじゃなかった時はそんな感じだったような気がする。一人でライブする気が起きないのは、単純に面白いことできないから。一人で部屋で歌っていたい。でもひとりで弾き語りライブしてみたい気もしてる最近。ひとりで演奏して死ぬほどいい人を知ってるから自分でやる気が起きないだけなのかもしれないな。いまはかしゆりとviimsでやるべきことがかたまってきたから一人で歌ってみたいのかも。ひとりでライブして見られることはやっぱり結構苦手で、ずっと見られるわけだし、愛されたり殺されたりする覚悟がいる。とかいって客からすれば下手なだけかもしれないが。
複数人でライブするということは、面白いことできなくても、面白くなくても、しんどくても、生きてること実感するからたくさんやりたい。

ライブ終わって、わざと終電逃した。星野くんと会うときは大体大阪だった。それでわざと終電のがして、サードビア飲みながら延々と歩き続けた。とくに話すこともなく。寒くなったら1000円のエンドレス飲み放題にいって、眠くて半分ゾンビみたいになりながら、今日出会ったものについてdisりまくっていた。そういう、これからの希望を蔑ろにするような遊びが好きだったことを思い出して、歩きたかった。
びっくりしたのは法陀をあとにするときみんながかなりら心配してくれたこと。あんまりそういう遊びは一人でしないのかもしれないとか思ったけれど、そんなことないよな。ぼくに死相がでていたのかもしれない。なんつって
ライブに来られなかった赤犬さんに電話して、大阪の夜を明かすのにオススメな場所を聞いたら、難波周辺か味園だというのでまず難波にむかって歩いた。いつもと変わらぬコースだけど。
スケーターがめちゃくちゃおおくて嬉しかった。なんで急にスケボー好きになったんだろう。肉で服をかいはじめたときからそういう定だったのかな。
スケボーはじめたりラップはじめたりしてからNEXじゃないペプシや7UPを無理して飲んでる。ストリートにかぶれたい気持。実際かぶれたらその良さはわかってくる。大阪自体がストリートだから自販機にNEXじゃないペプシがかなりの確率で置いてある。京都じゃなかなかない。きっとスケーターに需要があるんだ。きっとペプシをのんでバビロンを飲み込むんだ。車が少なく、広くて平らなアスファルトを蹴って蹴ってナイトクルージングするんだ。スケートすれば都会にもロマンがある。

難波にいっても金もなく、そのまま味園へ。寒さに耐え切れるギリギリまで鬼殺しのみながらふらつき、味園にあるウィスキー専門のバーにはいった。マスターのおじさんが話しかけてくれたので、身の上話をした。お店をやりたいことなども。
お客さんが来たので入れ替わりで出て、椅子で寝た。優しい芸人みたいなお兄さんが起こしてくれて、そのまま金龍ラーメンにいって、始発を待った。
地下鉄で淀屋橋までいって、頭は寝たまま身体が京阪に乗り換えてくれたが、京阪のってから頭が急に目覚めて、頭はまだ地下鉄に乗っているつもりだったから慌てて一旦降りてしまった。出町柳について、今出川を東に歩き始める。やっぱり寒い。眠かったのでとりあえず休まず歩いていたら、レコレコの前でナミイタ忘年会終わりの金子とこんぶさんと井上さんにばったり会った。そこに仕事終わりのいいじまくんもバッタリ会った。その瞬間に京都の感覚を思い出した。ここは田舎だ。ちょっと元気になって帰って布団に潜り込んだ。映画を撮る手伝いをしてる夢をみた。起きたら夕方の6時くらいで、昆布茶をのんで、寒くて再びふとんにもどった。










2014年12月9日火曜日

久々に大学に向かっていて、バスの中落ち着かない。この年になって学校が怖いなんて笑える話だと言ってくれたおじさんは年の割にはあまりにも年老いていて、且つパワフルだ。
たくさん惜しい人が居無くなる秋だった。敏感すぎる人と鈍感すぎる人はもはや同じであって、振り切れることがいいのかもしれない。
自尊心とは一体なんなのか、人と話す中考えた。自尊心を持たない人は、他人を平気で傷付けると言われたときに、どういう人が自尊心をもっているのか考えたら、自分が思う立派な人なんだと思った。説明にはなっていないけれど、自分の感覚で、立派だと思う人は、自尊心をもって生きているひとが多いと思う。孤独に生きること、群れないこと、それで大人の目になっていくのかもしれない。
今日は太宰の津軽を朗読した。裏切られた数だけ遠慮を覚えて少年は大人になったと述べるセンスにはほとほと呆れるが、誰にでも意味のわかることを言ってみたい気持ちもわかる。
朗読朗読
いつでも朗読している