2014年2月26日水曜日

松しん

紫明に、松しんっていう小さなお寿司屋さんがあって、夜はまだいったことないんだけどお昼は定食をだしていて、700円で御馳走が食べられるいい店なんです

仕事の昼休みにいつも松しんでご飯食べてる。きょうはさっき鉄火丼定食たべました。御馳走だった

おやじさんとおかみさんが仲もいいし、なんだかかっこいい。すき焼き定食や、刺身定食をよくたべます、ちょっと尻がかゆくなった

あったかくなってぼくはうれしい。会社の庭にすわって、缶コーヒー飲む。急にショートホープ吸いたくなってかってきたから気分がいい。

松しんで鉄火丼食べながらおもったのは、江戸時代、いい時代だったんじゃないかっていつも思っているんだけど、現代もここにはゆっくりがあるしよかったというようなこと

いつも貧乏。友達もみんな金がないといつも言っている。必要な金が足りないということ、借金が増えるということ。これってなんでなんかなと原因を思い返してみれば、仕事が大変だったり、学校や家庭にお金がたくさんいるからっていうのがおおきいとおもっていたりはするんだけど、確かに必要なお金が足りなかったら辛い、でもすき焼きとか刺身とか御馳走食べてるし、好きな街でくらして好きな家で寝てるし、飲みに行きたい時に飲みに行けなくても、酒が好きになって、上等な酒を買って来て飲んで、うまいなあ、などとこぼしたりする。何と比べるかでしか貧乏を語れないけれど、贅沢だなあと感じられる幸せは、自分の理想とする最低の生活水準とともに、晴れててあったかいとか、四六時中心配なくてはならないことがあり、心の安らぎを遠くに逃がしてしまう心境ではないこととか、そういう金以外の豊かさが不可欠だなあ。

でも、心だけ異様に豊かな人に、たまにだけど確かな違和感を感じる時がある。どんな音楽きいても、どんな場所にいても、どんなひとといても、いつでも心地良さだけを抽出して、狂ったように増幅させるひとのこと。昔は羨ましいとおもったりもしたけれどやっぱり幸せが正義で不幸せが悪なわけではなくて、不幸せを感じる豊かさだってあるということ。お金と時間が有り余っていても、いまのぼくには楽しい使い方ができないからちょうどいいのかもしれないとおもうところはある。

絶対に自営業でいきていきたい。いまやりたくてやってる自営業的なことはロックしかないから、これで生活できたらいいけど、参考にできる前例を知らない。田舎の一戸建てで釣りや畑をしながら家族と静かに暮らしたいから、ロックには不向きだ。禁煙の喫茶店で煙草を売るようなもの。


でもそれっていいかもしれない。
 コインランドリーで珈琲を売るくらい良い仕事かもしれない。

音源を売るとか、ツアーでチケットを売るとかじゃなくて、ロック自身で生きていくことにしよう。世界かわっていってるなあだなあだなあだなあだなあだなぁ


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